草の森大冒険

ナンセンスの大家、草森紳一の書庫「任梟盧」を冒険します。

さあ、準備ができましたよ、草森さん。

永井優子さんというきれいなご婦人から、任梟盧に寄付していただいたテーブルセットですが、麻雀やるのにちょうどいい大きさですよ。せっかくなのでセットしてみました。ここで九連宝燈でも狙ってくださいな。では、気の合う面子を集めてください。あっ、そうそう今は時代が変わってきましたので、喫煙はご遠慮くださいね。お願いしますよ、草森さん。

サイコロは、6面体のものもありますが、その昔、手に入れていた12面体の梟盧(サイコロ)が古い段ボールの中から出てきましたよ。忘れていたでしょ?。任梟盧の盧の文字が「くろい」とも読めるとは思いもよりませんでした。さすがに中国文学の草森さんです。やはり、これは任梟盧のシンボルともなるようですね。大好きだったピースの空缶に大切に保管しましたから、ご安心くださいね。では、親決めはやっぱりこれでやりますかね。さあ誰を呼びますか、やはり、筑紫哲也さんと矢崎泰久さん、そして和田誠さんですか?きっと、すっ飛んで来てくれますよ。では皆さんで徹マンでもして楽しんでくださいな。誰か途中で疲れてしまって、「もう帰る」などと言っても、癇癪を起さないでくださいね。では、ごゆっくり。

 

          

 

 

 

面白マンガ解読塾--草森マンガ塾の始まりはじまりー!! 世界初の大人の塾(たぶん!?)

ストーリー・マンガに熱中する人は多い。しかし、一枚ものマンガには、とんと関心を向けない日本人のなんと多いことか。マンガといえば外国ではむしろこちらの方が主流のようなのだが、ジョークやユーモア、エスプリという機転の利く話術にたける欧米人にとっては、一目で全貌が分かるマンガによる諧謔表現は自然なのかもしれない。だが日本人にはなじみが薄く、少し分かりにくいようである。

 

しかし、そういうマンガが外国の主流なら、そこには彼らの意識や感じ方、考え方や環境などが分かるのであり、それは彼らにとっての面白さとは何なのか、ということを体験として知ることができるということである。マンガ好きのほか英語など外国語の学びにも大いに役立つものであろうと思われる。

 

例えば、ここに日本女性にも人気のあるレイモン・ペイネのマンガがある。

傘をさした恋人たちが、ハープの中にいてぴったりと密着しているようである。そんなことはあり得ない話で、いったいなにが面白いのかと思われるのだが、周囲には雨は降っていないのに、なんとかして二人は愛を成就させたくて、ハープの弦を雨に見立てたのだとすれば合点がいく。なるほど、そうみれば確かに細かいところまで見えてくる。ペイネは恋人たちの愛の情熱を、やや諧謔的に応援しているかのようである。他にあなたには何が見えるだろうか。

 

今回、草森書庫、任梟盧の中から、雑誌に掲載されていた一枚ものマンガを中心に、草森紳一のマンガ考をバイブルとして、プロジェクターで拡大して皆で解読してみようと鑑賞会を行うことになりました。参加してみたい方は、下記までご連絡ください。気楽に遊び心でよい学びができればいいなと思います。

 

                   記

 

日 時:令和4年11月18日(金)15時~17時

場 所:茶戸庵     電話:0155-37-5092

    帯広市西25条南2丁目7-83(帯広聾学校端隣接)

参加費: 1,000円(飲物等込み)

主 催:草森紳一書庫「任梟盧」保存会(仮称)   連絡先:080-5725-2960(佐藤)                         メール:sankichi001@outlook.jp

参加可能人数:10名程度(御連絡順で締め切りとなります) 

地 図:          茶戸庵(路上駐車可能路線)



 

子供の冒険心にはカナワナイ!!

任梟盧の月一の一般公開が始まって2回目が無事終わる。

先月も子供連れの家族が、といっても小学生くらいだが、見学に来てくれたが、

今月は入学前の幼児を連れた家族も2組ほど来てくれた。

螺旋階段を怖がる大人も多いのだが、子供たちには格好の遊び場らしい。

子供には、ジャングルジムのような何かの新しい遊具になってしまうようだ。

3歳くらいの子供が、一人で階段を何度も上り下りしたがるのである。

親が手を貸そうとしても、はねのけて受け付けない。正に強情そのものである。

無理に抱え込んで抱き上げると泣き出してしまった。

子供には高所恐怖心というものがないということが分かる。

 

もちろん、いずれどこかで痛い目に遭って、危険を回避する術を学んでいくのだろうが、それがここであってはまずいわけだから、もう一方の冒険子である我々は、その子から目を離せず観察することになる。

怖さとは子供にとって、遊びの要素の一つであるようだし、ちょっと危なげなところほど、すぐ遊び場にしてしまうという自由な才能は天才的といってよい。遊びとは冒険のことでもあるのだろう。

仕方がないこととはいえ、こういう才能が成長するにつれて、失われていってしまうのは寂しいものだ。現代の小学生は、どれほどの遊び心を秘めているだろうか。しぼんでいないことを祈りたい。

ともあれ、任梟盧が子供の遊び場になるなんて、草森さんは狂喜していることだろうと思う。

 

この日の見学者も20名ほどであった。

中には、イスに座ってじっくり草森本を読んでいる人もいた。

冒険子は案内役でもあるので、草森さんが横尾忠則氏の装幀で作った「江戸のデザイン」と幕末の著名人たちを写した大部の上野彦馬の写真集を中心に説明している。上野は例の坂本龍馬の写真や高杉晋作、軍医総監を務めた松本良順なども撮っていて、この人は陸別開拓の医師、関寛斎と同門でもあり、十勝の人には身近に感じられるからでもある。

 

2022年10月9日任梟盧見学状況

 

任梟盧の公開

昨年から準備してきた任梟盧の公開ですが、やっと9月から実現できるようになりました。公開用のチラシと地元紙の新聞記事でお知らせとします。

公開用チラシ表

チラシ裏

2022.8.8 十勝毎日新聞より




幻の「史記」

とんでもなく珍しい本があった。草森紳一訳の「史記」である。

奥野信太郎編集 中国文学名作全集1 1967年に盛光社からの出版である。

奥野氏は慶応時代の草森さんの恩師。彼が一目置いていたまだ20代の草森さんにこの訳をまかせたのだろう。ただ全文ルビの付いた中学生くらいにむけて書かれたものらしい。司馬遷の130巻に及ぶ「史記」の「列伝」と「本紀」のなかから17の話を選んでいる。挿絵は草森さんの友人の井上洋介氏。

この本は任梟盧にはいまのところ見つかってなくて、弟の草森英二さんが所蔵していたもので、友人のT氏に譲ったものだ。それを冒険子が借り受けて読んでみた次第。

もう50年以上も前のものなので、誤植も多少あるのだが、おもしろく読めた。

通読して思うのは、中国という広大な国をまとめていくには極めて残酷な、いわば恐怖政治を行うしかなかったのかという歴史認識であり、それはまた現代にも残っているような気もすることである。冒険子は実はあまり歴史に興味がない。歴史とは勝者の都合が大きいはずだから。孔明のような名軍師や忠臣たちの固唾をのむような戦いぶりが、面白くないというのではない。それはそれで、楽しんでしまうのだが、ただ真の歴史とは、もっと違うところにあるのではないかと思っているからなのだ。

以下目次タイトルだけでも引用しておきたい。

帳良と不思議な老人

孫子と百八十人の女兵たち

かたわの孫臏(そんびん)

呉起ついに宰相となる

蘇秦張儀の友情

平原君と食客毛遂

馮驩(ふうかん)、孟嘗君を救う

刺客荊軻

藺相如(りんそうじょ)と和氏(かし)の玉

伍子胥(ごししょ)のかなしみ

若きしゅう長冒頓(ぼくとつ)

悲劇の将軍李広

帳湯の死

天下の名医扁鵲(へんじゃく)

秦の始皇帝

不老不死と漢の武帝

項羽の最後

 

井上洋介

 

ナンセンスは地球を救う?

もう50年以上も前の1966年、草森さん28歳の時分に書かれた一文であるが、「ナンセンスの練習」の迷宮に迷い込んだ。実に込み入っているが、これが草森さんの本領だろう。非常に益のある議論であった。センスあるナンセンスからセンスを超えたナンセンスを求めていくべきだが、それよりもそれらをひっくるめたものに相対するナンセンスそのものへと向かうべきであるとする。そしてさらには、ナンセンスさえもナンセンスと捉えられるようになることを最上とする。

まるで禅問答のようだが、この考え方は、実は今のロシア・ウクライナ問題に限らず、すべてのコモン・ナンセンスに対しての本質的解決方法を暗示しているように思う。戦争や反社会的行動は、地球規模で考えれば、あくまで内乱であり破壊活動であるから、ナンセンスである。いやコモン・ナンセンスである。しかし、当事者たちはそう思ってはいないだろう。あくまで、コモン・センスの行動と思っているし、彼らにナンセンスを受容する感覚はないであろう。つまり、絶えず繰り返されている戦争などというものは、正義といってもよいが、せンスとセンスのぶつかり合いに他ならないのだから、これを回避していくためには、ナンセンスを受容していくしかないのである。つまり、わからないものをわからないままに受け入れるという、精神的苦痛の鍛錬を積むしかないということなのだ。


またこれは、現代の社会の根本的問題であるISOなどに代表される論理的品質管理制度なども、人を全員コモン・センサーとして捉えているがためにロジック化し、またロボットと捉えるがために、がんじがらめのプログラム型管理制度となり、社会人はおろか子供達にまで、がちがちの束縛的暗黒世界を供していると思わざるを得ない。このままではSFではないが、ディストピアもそう遠くはないであろう。やはりナンセンスの受容なくしては明るい未来はないと思われるのだ。教育制度が平均的コモン・センス人を大量排出したといっても、もともと人は子供のようなナンセンス人なのであり、感情に支配され続けるものなのである。

 

ある江戸のカボチャというあだ名の狂歌師が神聖な(?)狂歌座で放屁をしてしまい、そのバツとして回文を要求されるのだが、それは悲劇であるはずだがあまりに面白いので紹介しておきたい。

「ヘゝゝゝゝヘゝゝゝゝゝゝヘゝゝゝゝヘゝゝゝゝゝゝヘゝゝゝゝゝゝ」加保茶元就(かぼちゃもとなり)

 

また、若き草森さんの天才的気づきだが、「馬鹿につける薬はナンセンスだ、そのように覚った時、一番蒼然とすることは受容者側がその薬をまったく受け付けない『センス性アレルギー状態』にあるということであった。」と書いているので、この薬を処方するのは、非常な困難を伴うのだが、少なくとも草森ファンの一人としては、やはりナンセンスの練習を続けていくしかないのである。

ぜひ一読をお勧めしたい。

「ナンセンスの練習」草森紳一 晶文社

(中古品)ナンセンスの練習 【商品説明】    サイズ     高さ : 2.80 cm     横...

 

 

草森マジック

久しぶりの投稿です。

実は冒険子は、昨年からは少し本格的に任梟盧と関わるようになりました。

高齢者となり、時間ができたということもあるのですが、蔵書の傷みが激しく、なんとかこれ以上の劣化をくい止めたいというご遺族の要望を、冒険子も同じ思いですので受けることに致しました。今度は本や建物の管理や清掃などの仕事にもなりますが、半分は今まで通り自由に草の森冒険で遊ばさせていただこうと思っています。

紳一さんの弟、英二さんも3年ほど前に亡くなり、母屋も無人となり、任梟盧は蜘蛛や虫たちの住処になりつつあったのです。

 

ところで、今日はとても面白い偶然がありました。

任梟盧蔵書のリストアップをしていたら、ある文庫本の巻末に「一橋大学商学部 村松賢一」というサインがありました。同ページに100と鉛筆で書いてあります。きっとどこかの古書店で100円で購入したものと思われます。この本は「ミル自伝」というジョン・スチュアート・ミルという経済学者の自伝です。

40年近く前、冒険子は古い離農家跡に5年ほど住んでいたことがあるのですが、その時NHKからあるプロジェクトの取材を受けたことがあります。その時の取材記者が、村松賢一さんという方でした。

丁寧にも翌年に賀状礼状をいただいたので名前を憶えていたのです。しかし同姓同名の別人かとも思い、調べてみましたら、帯広局の勤務をされ、出身は一橋大学ということですから、間違いはありません。彼が学生時代に読んだ本のようです。

それが草森さんを介して任梟盧に移り、そして今冒険子に出会っている。実に奇遇なことです。彼は、退職後お茶の水大学の教授になられたとか。ソフトで知性的な方でしたので、なるほどと思いました。村松さん、もう80歳くらいになられるかと思いますが、お元気でおられることを祈ります。

このように、たかが文庫本一冊にも冒険の歴史があるということを実感した次第でした。最近、故草森さんの周りにこういったシンクロニシティがあちこちで起こっているようです。まさに草森マジックですね。合掌。

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