草の森大冒険

ナンセンスの大家、草森紳一の書庫「任梟盧」を冒険します。

年賀

皆さん、明けましておめでとうございます。
やっと今年で古希を迎えます。
人生は長いような、短いような、
でも考えてみると、いつも「今」でした。
この今そのものの精一杯の充実、
これからも元気にやれたらいいなと思っています。

今年もよろしくお願いします。

令和二年 元旦 南相馬にて

 
 

ニュースフィード

 
 
 
 
 

近況報告

またまたご無沙汰してしまいました。

草の森冒険子は、1年ほどの八戸生活を経て、帯広の実家にこの3月に戻ってまいりました。無人になってガタガタになっていた家を補修し、整理し、何とか人が生活できる環境を整え、周辺の林、雑草除草や畑仕事に追われながらも、久しぶりの我が家で植物たちと楽しくやっておりました。

また、高山さんのご連絡により、再度草森蔵書ポロジェクトの土曜ワークにも出席できました。もう蔵書データの入力作業がメインの仕事になってきているようですが、一冊ヾページをめくって付箋やラインに引き込まれながら、草森さんの視点や呼吸を感じていました。それで仕事よりも、ついつい内容の理解の方に時間を取られてしまい結構時間がかかってしまします。ラインを見るたびに「ああこれは知らなかったな」とか「ああこれはわかるな」とか「ここはあれに飛んだのか」とか。いろいろ連想してしまって、興味が尽きなくなってしまいます。これでは、図書館司書なら失格でしょうね。
先回は、石川啄木の林中書をやったのですが、「今の日本人」もまた、実に多弁にして自負心多き小児である、などというくだりを読むと、ああ啄木は単なる抒情歌人だけではなかったのだ、覚醒したコスモポリタンでもあったことがわかります。

そして、また南相馬の別の建設会社より声がかかり、市発注の橋梁補修工事を担当することになりました。昨日ようやく新しい住まいに引っ越しを完了したところですが、今度は相馬馬追で有名な雲雀が原公園近くの1DKのまだ新しいアパートです。さあこれからどのような生活をおくれるか、楽しんでやっていこうと思っています。

冒険子、ただいま68歳、決して若くはない年齢だけれど、オファーがあるのは自由業やクラブ・ホステスのように喜ぶべきこと、しかし大病を2度味わった身ですから、健康第一に無理をせず、今まで生きてこられた社会に恩返しをすべく、まだまだ精進しチャレンジしていきたいと考えています。

近況報告

ごぶさたしてしまいました。

図書整理のボランティアの皆様の活動は、だいぶ進んでいるようです。
プロジェクト通信も発刊されて、活躍されていますね。

http://d.hatena.ne.jp/s-kusamori/

草の森冒険子は、しばらく福島県南相馬市で防潮堤等の建設のお手伝いをしておりました。
2年4ヶ月という長期間に及びましたが、無事担当区は完成しました。
下記は空撮動画です。思いの外大変なこともありましたが、何とか全うできました。

https://www.youtube.com/watch?v=jJchofWxqAE

また、先月から八戸に移り、コンクリート関係の会社と1年契約し技術顧問として働くことになりました。
よって、またしばらくは帰省できず、この大冒険もしばしお預けとなるかもしれません。

しかし、ここでは青の森大冒険を鳥の目でやっていきます。
先日は「鯛島」をユーチューブにアップしました。
坂上田村麻呂の子を宿したという娘の悲恋伝説が残っているところです。

また、今後はツイッターも再開して思うところを発信していきたいと思います。

https://twitter.com/Yakv29JuaPZyqMg/status/840554224287006721

では、近況のご報告まで。

歌よみに与ふる書

少し前になるが正岡子規のこの書をじっくり読んだ。
子規の歌や俳句についての考えが、先鋭的に書かれていて、非常に面白く読めた。万葉集源実朝、橘曙覧を主に賞賛しているのだが、藤原定家紀貫之古今集の批判等、正に怖いものなしの子規である。
ここでは、主なところを引用してみたい。

定家以後歌の門閥を生じ、探幽以後画の門閥を生じ、両家とも門閥を生じたる後は歌も画も全く腐敗致候。いつの代如何なる技芸にても歌の格、画の格などといふやうな格がきまったら最早進歩致す間敷候。

歌は感情を述ぶる者なるに理屈を述ぶるは歌を知らぬ故にや候らん。

嘘を詠むなら全くない事、とてつもなき嘘を詠むべし、しからざればありのままに正直に詠むがよろしく候。

小さき事をおおきくいふ嘘が和歌腐敗の一大原因と相見え申候。

一般的にいへば、歌は倫理的善悪の外に立つ処に妙味はあるなり。俗世間の渦巻く塵を雲の上でみてをる処に妙味はあるなり。倫理は徒に善を勧め悪を懲らす傍にありて、歌は善とも悪ともいはず、ただかくの如く愉快にかくの如く平和なる場所あることを黙示するなり。

和歌は長く上等社会にのみ行はれたるがために腐敗し、俳句はとかく下等社会に行はれやすかりしため腐敗せり。われらは和歌俳句の堂上に行はるるを望まず、和歌俳句の俗間にて作られん事を望まず、和歌俳句は長く文学者の間に作られん事を望むなり。

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

日本語の悲劇

仕事、入院、草森ボランティアとあわただしく過ごしているうちに、早くも一年が過ぎた。このままでは、何もしないうちに草森さんに会いに行くなんてことになるかもしれない。いやまだまだそれだけは勘弁してください。一年前は、それもまたよし、と達観的だったのですが、だんだんまた命根性が汚くなってきたようです。(いやあでも、この言葉なんかいやだな、だって人間なら生に執着するのは当たり前なはずだから。それを汚いと言ったのは誰だったのだろう、死ぬことを厭わない武士か、それとも生死を超えた聖人か。)

草森蔵書整理の活動は、月に一度なるべく行くようにしている。最近はパソコンやプリンターが備品として使えるようになり、大分それらしくなった。蔵書の格納も蔵書番号順になったので、すぐに目的の本を探せるようになった。少しづつだが、校正も進んでいる。作業時間も午後3時までの4、5時間となってボランティアの皆さんも、和やかに作業を進めているようだ。

この間に、本もゆっくりと何冊か読んだが、朴 炳植著「日本語の悲劇」には驚いた。連句の勉強のため日本語の起源を探っていて、最初は図書館で斜め読みしていたのだが、あまりの面白さについアマゾンで古書を買ってしまった。1986年の発行だからもう30年近くも前に発行されていたものだ。いままでこの書物の存在を知らなかったという自分の不覚の反省とマスメディアの問題、歴史問題に置ける閉塞性や愛国心、差別等の問題が錯綜してなかなか受け入れられなかったのかなとも思うが、真実は別にして、これだけの仮説は衝撃的な面白さであった。ここは「北」ではないのだから、ぜひ学問的に検証していってほしいものだ。

内容をちょっと紹介すれば、五十音図日本書紀等を慶尚道方言や古代朝鮮語を用いて解明しているのである。その意味が今までの日本語学術的解釈とはまるで違うのだ。中身が易しくて、わかりやすいので非常におもしろいのである。
たとえば、五十音図は、
あいうえお (あー、どうして、こんなに泣くの?)
かきくけこ (綺麗な、おべべを、しわくちゃにして)
さしすせそ (さー、お洗いなさい)
たちつてと (怪我をしたって)
なにぬねの (私は驚きませんよ)
はひふへほ (はー、ヒフヘちゃん、ほー)
まみむめも (おもゆをめしあがれ)
やいゆえよ (この子は、どうして泣き止まないの)
らりるれろ (鬼が来ますよ)
わいうえを ん (どうしてこんなになくの、ね)
と解釈される。
そして、日本語の悲劇とは何かというと、奈良時代のころは古代朝鮮語の影響で8つの母音があったが、平安時代に50音図を一般化したがゆえに、母音が5つに減ってしまった。よって、日本人は英語等の発音や聞き取りに苦労している。これが悲劇だというのである。つまり「かな」の発明と今尚われわれに強く残っている縮み志向性(短縮語の愛好趣味)が、母音を簡略化してしまった、というのである。

さて、草森さんなら、これをどう評価したものか。江戸時代以降や中国史などを中心に関心を寄せていれば、あまり古代史ミステリーめいたものには踏み込まなかったかな。

日本語の悲劇 (学研M文庫)

日本語の悲劇 (学研M文庫)

日本語の悲劇

日本語の悲劇

ボランティア作業

先月は、紳一さんの弟、草森英二さんとペアで、3時間ほど校正の作業をした。
担当したのは中国の詩関係の文献なので、読めない漢字が多く、なかなか難しいのであるが、英二さんは、高校時代から漢文の鬼才であり、伝説の人なので難なく作業が進んで二箱分完了した。

今日は、久しぶりに、短大の記念室に蔵書整理ボランティア5人ほど集まって、役員会と不明本の検索を行なった。
箱ナンバーで整理しているのであるが、本を動かしているあいだに、入っていた箱の番号がわからなくなってしまうのが出てくる。これらをリストアップし、パソコンを使って、箱番号を追跡するのである。
エクセルによるデータ管理なので、書籍名とか著者名を利用して検索をかけ絞り込んでいく。具体的方法を高山さんに覚えてもらった。これで不明本の追跡は問題がなくなった。

ただ、これをやって気がつくのは、全部で700箱以上あるのだが、ジャンル分けした箱の番号が連番になっていないことである。だから、箱番号順に書棚に並べると、データとの照合や管理はしやすいが、ジャンルごとに区分できないので、利用しにくいということになる。

だから、整理プロジェクトの目的が必要である。
つまり、あくまでデータから署名検索をするのか、図書館のように目視中心で探しやすいようにするのか、方針を決める必要がある。

最善は、図書館のようにジャンルを区分統一して並べて、箱番号は書棚番号と一致させるように、あとから付け替えて、データ箱番号もそれに沿って書き換える、ということだと思われる。そうすれば、データからの検索でも探しやすいし、目視的にも見やすくなる。

しかし、月に3時間ほどの十数名での作業である。校正作業もだいぶ慣れてきた感じだが、まだまだ道は遠い。
そして、冒険子は仕事にかまけて、なかなか出席できていないので、恐縮の限りだ。
任梟盧の本たちの劣化も心配である。
正直このままでは、特に北壁部は、湿気と紙喰い虫によって、いずれボロボロになってしまうだろう。

閑話その3ー萱吹流会社の興し方

大分ご無沙汰してしまいました。
会社を立ち上げたりして、この3か月、なかなか忙しかったのです。

会社を興したのは、やむを得ない自己保身のためと、以前から考えていたある目的の実行のためです。もちろん、まだまだ漠然としているのですが、少しずつ明確にしていきたいと思っています。次から次へといろんな仕事が、責任とともに了解を経ずに与えられ(むろん、ありがたいことには違いないのですが)、還暦超えた身としては、全社的に見て少し納得できなくなってきてしまったからです。

だから、自分と会社(幹部)とお互いに、気持ちの良い関係に変えていく必要を感じたのです。このままでは、自分にとっても会社にとっても、負の方向に向かっていき、お互いにだめになるのではないかと思ったのです。そこで、定年退職を志願し、会社を興し、今の仕事を委託で請け負うという形にしたのです。こうすれば、いくらでも喜んで別の仕事も受けることができますし、これからは会社も堂々と仕事を要求することができることになります。

会社というのは法人ですから、一応法の下で活動するということです。そこで、契約を社長(心の広い方です)と直接交わし、新しい関係を築くことができました。もちろん、契約事項と法は命を懸けて守らなければいけませんが、法も当方を守ってくれるということになります。

未完成ですが、ホームページはこちらです。http://sankichi.org/index.html
まあ万(よろず)屋の部類でしょう…。