任梟盧訪問者紹介ー神戸情報大学院大学御一行様
6月22日の日曜日の朝一番9時過ぎ、帯広のホテルから神戸情報大学院大学の御一行五名様が、小型バスで訪問されました。はるばる関西から北海道の名建築を見にツアーを組んで旅されているとのことでした。
ご案内の先生は、建築史家で神戸情報大学院大学客員教授の川島智生先生でした。昨年も予定されていたのですが、1年延びてのご来訪となりました。
主に大阪の方が多いようでしたが、1時間くらいの滞在で、主に任梟盧の建築を観察されていました。任梟盧は山下和正という高名な建築士の設計で、壁一面が書棚というユニークな構造で、3階建てくらいの高さがあるのですが吹き抜けになっています。
下記写真のように外壁や木製の窓が大分傷んでいて、至急補修をしたいところですが、取敢えず書物の保存と管理に重点を置き、ある程度の資金と将来の方向性がまとまったらなんとかなるかなという状況です。まさに任梟盧の意味でもある「サイコロ任せ」が現状です。
川島先生には、これについてもよいアドバイスをいただきました。窓枠は雨に強い金属製にし、外壁は同じような部材があるので覆い被せるのが低コストに抑えられるとのことでした。
この案は当方等も考えてはいたのですが、材料の知識が薄いので、トタンぐらいしか思いつかなかったのです。
また先生は、文化財登録の仕事もやっておられるとのことで、今年は釧路の本行寺だと記憶しますが、これの有形文化財登録を成功されています。
任梟盧も十分文化財としての登録価値があるとのことでした。
これから池田のワイン城の見学に行くとのことで、あわただしく時間が過ぎて写真を撮るのを忘れてしまいましたので、ネット情報から紹介させていただきます。
川島智生教授
なお、任梟盧の外壁部現状です。木製窓の腐食により、下部の外壁が破損しています。窓枠は小さいので何とかビニール被覆で保持しています。こういうヶ所が3面あります。

天蓋周辺部から浸水がありますので、とにかく早急の漏水防止工事を行いました。

少しでも早く何とか改善していきたいと思っています。
どうか皆様の応援をよろしくお願いいたします。
任梟盧来館者紹介ー川口則弘さん
桜の花も散り、タンポポが一面黄色くなりだしたころ、東京から川口則弘さんが任梟盧に来館された。
筑波大学で比較文化学を学ばれ、現在は会社員としての仕事のかたわら、直木賞などの文学賞の研究をなさって、2000年からWEBサイトで発表されてきた。
任梟盧は、南陀楼さんからの情報で知ったとのことである。
最近出された自著「文芸記者がいた!」を持ってきてくれた。まだ詳しく読みきれてはいないのだが、ざっと目を通すと自分の知らない新聞記者たちの名前であふれている。したがって、あまり入り込めないように思ったのだが、「文学の道をあきらめた人」とか「多くの作家を怒らせた人」とかの目次を見ると、なんだか読んでみたくなる。事実、読まされてしまった。特に昭和時代の百目鬼恭三郎というとんでも記者や太宰や佐藤春夫に傾倒した竹内良夫の存在は知っておいていい。そしてこの本は、とてもリズミカルな文体で読みやすい。現代の文壇や新聞雑誌に興味ある人には勧めたい本である。
任梟盧での川口さん

文芸記者がいた!

巻末にある文芸記者年表は労作であり、自分でもなんども手に取ることになるだろう。
激震の任梟盧 ‼
今月は、当方の知人筋にも訃報が相次いだ。やはり季節の変わり目ということもあるのかもしれない。
そのなかでも、なんと任梟盧保存会の名誉会長である相澤正夫氏の訃報も届いたのである。3月3日のご逝去とのことであった。なんと突然の悲報であろうか。まさにこの保存会ができて2年を過ぎたばかりの任梟盧に起きた激震といえる。
相澤さんは、前にもこのブログでも報告した一昨年の6月に任梟盧に来館されたお一人だった。その時は先回にお知らせした「書庫を歩く」の著者で「日本の古本屋」の記事でおなじみの南陀楼綾繁氏、元文芸春秋で文学界の編集長を務められた細井秀雄氏、元富士通の清水ますみ氏らと一緒だった。
その時の夕食懇談会で、任梟盧保存会の話になり、当方が物腰の柔かい相澤さんに名誉会長をお願いして皆の承認を得たのであった。風前の灯火であった任梟盧活動にも、頼もしい名誉会長が就任してくれたと心強く思ったものだった。
相澤さんは芸術新聞社の会長であられたが、草森紳一とも数冊の共同作品ともいうべき大部の貴重な書物を残された。「李賀 垂翅の客」と「中国文化大革命の大宣伝」である。とても温厚な包容力のある人物という印象でした。
草森さんが2008年3月18日、永代橋を見下ろせたというマンションの一室で亡くなった時の第一発見者も相澤さんと細井さんであったのだ。
今は永遠の魂となられた相澤名誉会長、どうか今後とも任梟盧の活動を見守っていてくださいますようお願い申し上げます。
お別れの会に出席できない非礼をお詫びし、ここに謹んでお別れの言葉とさせていただきます。ありがとうございました。
ご遺族で喪主の奥様には、供花と弔電を送らさせていただきます。(合掌)




任梟盧ブッククラブ新年会及び草森紳一未発表原稿
今年も2月に入ってから、9日、帯広の名店ともなった”ランチョ エルパソ”にて新年会を行った。
時期が悪く都合のつかない方も多かったせいか、参加は、吉田、高山、佐藤の三人。
ただちょっとした手違いもあり、揃ったのが午後1時近くになって終わったのが閉店時間の3時になってしまった。それで帯広駅内にあるエスタ帯広での蒲生さんの個展に、間に合わなかったのは残念。

今回は久しぶりに、どろ豚で有名なエルパソのボリューム料理を頂きながら、文章論をテーマに語り合った。それぞれ目的は違うが、ライターとして活躍している。
吉田氏は、「もののあはれ」のような心の機微を描くのが得意なエッセイスト(筆者評)。
高山さんは雑誌の大好きな女性で、十勝毎日新聞をはじめ、いろんな雑誌に記事を書いている。また、ご自身も編集されている"Magazine isn't dead"を持ってきてくれた。

草森さんは慶応の学生時代、推理小説同好会に所属していたのだが、当方は、その時代に書いたと思われる習作と断り書きされているものが見つかったので、皆で草森文章法の研究にとワードに入力プリントし持参した。
樫路木 紳一という名で、習作と銘打つ「馬糞 怒」という小説で、起承転結でいえば「起」の部分しかないが、当時の仲間や先輩と思われる「評」もついているので最適である。
草森さんの小説構想への気負いや、なかなか手厳しい友人の批評などもとても勉強になった。草森さんのこれからの奮闘ぶりが見えてくるようだ。


なお、この文章はワードファイルになっているので、全ページ読んでみたい方は、任梟盧ブッククラブ入会者は希望により入手出来ます。コメントやメールでご依頼ください。
また、この評を書かれたご友人の方々、記憶がございましたらお教え下さい。
sato.toshio.2960@GMAIL.COM(佐藤)
任梟盧通信
任梟盧を訪問された人々 3
8月9日(金)に先回ご紹介しました嵩さんと共に現代美術家の浅野修さんとジャガイモアート館事務局の藤代康子さんが来てくださいました。カフェ・タイムがなかったのが少し残念そうでしたが。

左から浅野さん・嵩さん・藤代さん
浅野さんは嵩さんと小学時代の同級生で、87歳を迎えた今でも密にお付き合いをなさっています。すごいですね。80年もの長い間、お互いに切磋琢磨しながら付き合っておられます。
お二人は、今年も9月23日まで帯広の隣町芽室町にある赤レンガ倉庫で、巨大ジャガイモアート館の公開を行っています。自然造形の基本である、三角で組んだ木の六角形を構成単位として、巨大なジャガイモの空間を造り、その中や床、天上を含む周囲には世界150か国の子供たちが描いた10万点に及ぶ収蔵品から、毎年入れ替えながら数えきれない作品を展示しています。
ピカソは晩年、自分はどのような絵でも描けるが、子供の描く絵だけは描けない、と言ったそうですが、ここに展示されているウクライナや中国、アフリカなどの子供たちの絵には、その造形的想像力の豊かさと、あの悲惨で壮絶な現実を明るい色で表現するその感性には、こちらの魂は揺るがされずにはいられません。
ところで、浅野さんは1950年代半ば、帯広三条高校に学び、その途中東京の城北高校に転校されたとのこと。その頃の三条高校美術教師は、佐伯祐三と共に川端画学校と東京美術学校(現東京芸大)で藤島武二に学んだ松崎晩翠です。そして、美術の道に進もうと決心した浅野さんは、東京に出て佐伯祐三より一世代若いが川端画学校で学んだ画家、大野五郎氏について大志をもって学ぶことを選択します。大野五郎が学んだ時代の川端画学校には、映画監督として世界的に活躍する黒澤明もいたのでした。当方も後に「乱」という映画の絵コンテをを見てそのイメージの表現力に驚いたことがあったのですが、なるほどとうなづけました。いずれにしても藤島武二が源流にあったわけで、とても面白く感じます。浅野さんは鎌倉にお住まいなのですが、この企画の公開期間だけ十勝におられるようです。
また松崎晩翠は、実は当方の義父でもあるので、私事であり恐縮なのですが、一応紹介しておきたいと思います。
明治30年埼玉県川島町に、「太田道灌七騎の子」を祖先とした大地主の次男として生れ、大正6年から川端画学校、同8年から12年まで東京上野美術学校に学び、昭和10年北海道へ渡り、同13年から帯広に住む。昭和25年から帯広三条高校の美術教師になるも、同33年脳血栓を患い退職。帯広では10人の子をもうけたが寡作であった。昭和63年、教師の同僚と教え子たちの力により遺作展が行われました。




任梟盧を訪問された人々 2
6月14日の金曜カフェタイムの日に、嵩(だけ)文彦さんと及川裕さんが任梟盧に来てくれました。
お二人とも、草森さんの高校時代の同期生ですが、なぜかお二人とも小生の若き日にとてもとてもお世話になった方なのです。草森さんとの出会いもお二人のご縁でした。
嵩さんは札幌在住ですが、元帯広厚生病院の内科医で詩人でもあり、現在は非常に前衛的な俳句に挑戦しておられます。任梟盧にも彼の原稿や著作が残っています。
「サカムケの指に赤チンをぬる栄華にまさる楽しさ」とか「倒立する古い長靴のための緻密な系統図」とか楽しいタイトルの詩集など思い出されますが、最近では草森さんが嵩さんの詩を批評した「明日の王」という草森さんとの共著もありますね。
嵩さんとは先月、札幌で奥様ともご一緒の食事と懐かしい会話を楽しんだばかりでした。
今回は、帯広美術館で開かれている星野道夫写真展を観がてらの訪問でした。帯広の隣町の芽室町にお住いの及川さんにもぜひ会いたいということでしたので、お声がけしてお二人をご案内したのです。
お二人は10年ぶりということでしたが、高校時代の懐かしい会話もあったようです。
及川さんは、お父さんが書家だったこともあり、元第三中学の校長だった「疎林」こと故小室吉助さんから書道部で3年間びっしり学ばれた方ですが、あの味わい深いマッチでおなじみの「珈琲と音楽 川」を経営していました。あの川の揮毫は疎林さんです。
この店がなかったら、おそらく草森さんを含む我々の今の関係はなかったかもしれませんね。
及川さんは渓流釣りの達人で、自然保護活動はじめヒマラヤまで登った山岳写真家でもあります。喫茶「川」にはあの坂本龍馬の血をひく農民画家、坂本直行さんも帯広に来られた時は寄っていく店でした。ここで直行さんは個展を開いたこともあり、及川さんはアポイ岳と農耕風景を描いた彼の代表的作品もお持ちです。
任梟盧では、タイ産の極上コーヒーを飲みながら、金曜カフェタイムを楽しみ、任梟盧の内部空間の整理状況にも感心しておられたので、小生もとても楽しい一日となりました。




