草の森大冒険

ナンセンスの大家、草森紳一の書庫「任梟盧」を冒険します。

60年ぶり奇跡の再会

任梟盧の北面は、天蓋の縁から長年浸み込んだ漏水で、腐食の進んだ大型本の多いところである。その一角に、昭和28年発行の自筆自装の漫画本があった。

変色や表紙の破損など少しはあるのだが、奇跡的に腐食を免れていた。

1939年生まれの池原昭治さんが、中学時代に描いた350頁に及ぶ自作漫画「弾丸ライナー とどろくけんじゅう」だ。

とても中学生とは思えない画力と工夫された構成で驚かされるのだが、手塚治虫や西部劇の影響が大きい作品である。手塚治虫が「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」を描き始めた時代である。また香川県高松市の池原さんの実家が劇場を経営していたので、映画は見放題であったという。高校時代、授業をサボっては観に行ったという映画好きの草森さんには、羨ましい限りであったろう。

 

池原さんは、テレビの「まんが日本昔ばなし」を原画から演出まで担当された童画家である。宮崎駿氏等と東映動画でアニメーションの仕事をしながら開いた昭和39年の西銀座デパートでの漫画展が、草森さんとの出会いだったらしい。

その後、個展の度に訪れ、アドバイスを受けたり、「美術手帳」での紹介や解説文を書いてもらったりしていたそうだ。「カッコウの鳴く朝」という画集の解説を草森さんが書いているのだが、それを読むといかに竹原さんの描こうとする世界が、天を向いていて、子供の無邪気さや楽しさだけを描いているのではないことを見抜いているのだ。

 

1965年に草森さんは、「マンガ考」を出しているが、この頃この漫画に興味を持ち、恥ずかしながらお貸ししたとのことである。

それが、今回、「日本の古本屋 書庫拝見」でおなじみの南陀楼綾繁氏の記事を読まれて、池原さんは当時を思い出し、最終的に当方に連絡が来たというわけである。

任梟盧の蔵書リストは完了していたから、この本を探すのは容易であった。

借りたものは返さなければならないわけだが、草森さんとの関係を確認する必要もある。それで、ご遺族の了解を得て、60年ぶりにお返しできたのである。

池原さんはとても感動して、手に取ったときは、14歳のころを思いだして落涙していたと娘さんは言う。

 

その後、お礼にと池原さんの素晴らしい本を数冊送ってくれました。サインと直筆童絵の入ったとても心温まる本です。冒険子もうるうると感動し落涙寸前となりました。

 

そして、もちろん、これらも任梟盧に置くことにします。こちらの本については、また次の機会に紹介したいと思います。

 

        

               弾丸ライナー4~5巻?

        

          製本はキリで穴をあけて針金で閉じている

       

            昭和28年(1953年)発行とある

          

                池原昭治さん

 

             北海道新聞10月6日の記事

 

任梟盧を訪問された人々

6月19日に交流懇親会を帯広の「平和園本店」で行いました。二次会は喫茶「黒船」でした。とても有意義な楽しい会になりました。ありがとうございます。

茶店「黒船」にて

草森さんとがっぷりと心の底から付き合っていただいた方々ばかりで、はるばる東京から来ていただいたのです。

任梟盧と大谷短大寄贈分の草森蔵書の取材等で来られた4人の方々でした。

お一人ずつご紹介させていただきます。

 

まず 清水ますみさん です。

清水さんは、晩年の草森さんとの交流が多かった人で、宮城県亘理町出身です。3.11ではご両親ともに大変な状況に遭われたようです。

草森さんは、明治の政治家で書家の副島種臣を長年研究していて、彼の兄である枝吉神陽についても調べていたのです。枝吉神陽は、なんと清水さんの祖母方の曽祖父 國分平蔵(子達)と長崎で交流しているようなのです。

國分氏は伊達藩の儒学者でありましたので、藩命を受けて日本各地を旅をし、旅日記を残していました。しかも種臣の掛け軸も所有しているといいます。そして彼女のお父上が、その膨大な日記を読み下しワープロで入力しているというのです。

草森さんならもちろん、こんな話には目の色を変えて飛びついたことでしょう。

 

清水さんは、富士通ワープロ・インストラクターとして、指揮者の岩城宏之氏、中山千夏氏、歌人俵万智氏、「話の特集」編集長の矢崎泰久氏などの指南をされた方でもあります。また、ばばこういち夫妻や書家の石川九楊氏など、著名人とも幅広い交友関係をお持ちなのです。

 

そういう活動的な清水さんですが、郷里の宮城県南東部の復興のためにも力を尽くされています。そのいくつかをご紹介してみましょう。

 

アマゾンで入手できる「赤痢菌発見者 志賀 潔とささえた家族」という聞き書きをまとめた90ページほどの小冊子を「山元いいっ茶組」代表として編集出版しています。

志賀博士は、北里柴三郎の一番弟子で野口英世とも交流があり、彼を支えた一人でもあったようです。

そして、冒険子にもなじみのある話が載っていました。

ノーベル平和賞シュバイツァー博士の元でアフリカ・ランバレネでの病院勤務に当たられた高橋 功氏が、志賀博士の姉の子だというのです。高橋氏は、ギター名手として昔から知っていたのです。イタリアのギタリスト、オスカー・ギリヤの公開レッスンでは通訳をやっておられたので彼の渋いお声も耳に残っているのです。

医学関係者のみならず多くの方に読んでいただきたい本だと思います。

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また、人気芸人のサンドウィッチマン伊達みきお氏ゆかりの茶室(文化財)が震災で大部傷んでしまったので、山本町の修復プロジェクトを精力的に応援している方でもあります。

https://www.town.yamamoto.miyagi.jp/uploaded/image/11988.jpg

クラウドファンディング(大條家茶室修復事業)開始のお知らせ - 山元町ホームページ

 

またサンドウィッチマンのファンの方は見てください。宮城県の代表的地方新聞です。

サンドウィッチマン効果で寄付額増加 宮城・山元の文化財「大條家茶室」修復 | 河北新報オンライン

 

また、「草森紳一が、いた。」という500ページを超える草森紳一回想文集の中に、「認めてもらえなかった赤い糸 不思議の連鎖」と題する一文を清水さんが書かれています。草森さんを理解したい方には必読の書だと思いますが、手に入るかどうかはわかりません。

草森紳一回想集を作る会 2010年発行

 

 

今年初の草刈り

72侯では蟷螂生(かまきりしょうず)のこのごろですが、十勝ではカマキリは見たことがありません。

任梟盧周辺もタンポポの花が灰色の丸い球になり、その種が飛び散り始め、他の雑草も大分生い茂ってきたので草刈りを行いました。

草刈前

完了

草を刈ると、カマキリは出てきませんが、ところどころから大きなミミズが驚いたかのように動き回って出てきます。

それを目当てに、いつの間にかカラスがやってきます。今は野鳥たちにとっては大切な子育ての時期なのですね。

そういえば我が家の庭に設置してある小さな巣箱にも、ヒガラが頻繁に出入りしています。あまりにすばしこいので、双眼鏡でもうまく観察できないのですが、ちょっとスマホのビデオ機能を使って拡大撮影をして何とか確認できたというわけです。

 

こういう単純作業をしていると、なにかの閃きのようなものが突然降りてきます。

昨年もそうでした。住宅街にある我が隠れ家の草刈りの時、任梟盧が移転を迫られるようなことになれば、ここに来ればいいじゃないか、と天の声のようなものが聞こえたのです。まあそんなことにならないのが最善ですが、大分気分が楽になったような気がしました。

今年も、突然我が胸中に何かがストンと飛び込んできたのです。

どうも「草」に関連してインスパイアされろようです。

ここ2年ほどほとんど毎日読書などして、草森さんと触れ合っているわけですが、突然草森さんの魂のようなものを感じたのです。草森さんの霊が降りてきたというような感じでしょうか。彼の心情が分かるような気がしたのです。

もちろん、そんなことはただの傲慢でしかないわけですが、これからもこういう関係を続けていけば、いずれ本当に降臨してくれるのかもしれません。

 

絵本作家の読み聞かせと草森マンガ塾Ⅱ

十勝にも満開の桜がやってきた中で、任梟盧ブッククラブ2回目の会を前回と同じ「あがり框」で12時から15時まで行った。

今回のゲストは、絵本作家の「がもう ともえ」さんと、ロンドン在住の「HIsako Conroy」さんであった。

がもう ともえさんはご自身の絵本「あかちゃんをさがしに」を朗読してくださった。著者本人の貴重な朗読であった。また全員にその絵本をプレゼントまでしてくれたのである。彼女は第一子を2歳10ヶ月で亡くしている。そういう経験から生まれた「お話」は奥が深い。花のあかちゃんを探しながら、母である花は旅を続ける、樹に尋ね、樹が作った火に尋ね、土に尋ね、土が作った金に尋ね、金の皿に溜まった水に尋ね、その水はやがて海になった。そうして家に帰ると、庭に小さな花の蕾を見つける。探していた赤ちゃんだった。その赤ちゃんは大きくなり、旅に出る。そうしてそうして地球は美しい花でいっぱいになる。実に哀しくも壮大で深遠な「お話」である。

小椋佳の「ほんの二つでしんでゆく」を思い浮かべながら聞いていたという人もいた。

がもう ともえさんの朗読を聞く

 

                                           

                                がもう ともえ:作、小倉正巳:絵

 

HIsako Conroy さんは通称チャコちゃん、帯広出身だがイギリスに渡りアイルランド人と結婚し、現在ロンドン在住である。

この後プロジェクターで草森マンガ塾の第二回目をやったのだが、ここで彼女に大いに助けられたのである。というのは、草森先生の蒐集された一枚ものマンガは外国のものが多くて、英語が分からないとその意図が分かりにくいのである。それが彼女のお陰で読み解けたのである。みんなでワイワイいいながら楽しんだ。この笑いは健康にもよいだろうと思われるのだ。

こうなってくると、オンラインの会合も考えていかねばならなくなったようである。

 

他の出席者は、宗像、廣川、佐藤八千代、佐藤、T氏の計7人であった。吉田氏は病院のため欠席。後で連絡したが、残念がっていた。

ゲストのお二人には、ブッククラブに入っていただいた。だんだんすばらしい人たちが増えてきて嬉しい限りである。

草森先生もこんな会ならにやにや笑って許してくれるだろう。

 

任梟盧ブッククラブの誕生

本年初めの新年会を2月10日、帯広の「あがり框(かまち)」でアルコール抜きの昼食会という形で行った。参加者は、宗像氏、廣川氏、T氏、ゲストに吉田政勝氏と久野氏、当方の6人。

廣川氏は草森さんの縁戚、吉田氏は北海道新聞の「朝の食卓」というコラムを2年間書かれ、「モモの贈りもの」という琴線に触れる話を散りばめたすばらしいエッセイ集の著者、久野さんは、歌が大好きできれいなお声の女性である。

会場にはスクリーンがセットされてあり、自己紹介の後、プロジェクターで児玉清の司会の「知られなかった手塚治虫」という草森さんたちのDVDを見ながらの食事会であった。手塚治虫の苦しさに焦点を当てたものである。娘さんのるみ子さんの回想もあって充実したものであった。

手塚治虫を論じる草森さんと会食風景

本日の議題は、昨年話し合って名称が決まった、「任梟盧ブッククラブ」の設立についてであった。任梟盧の活用と保存を進めるための方法を模索するための会である。

任梟盧に併設してカフェでもあれば、そこでゆっくり蔵書を読むことができるのだが、任梟盧だけでは狭すぎてそれが叶わない。そこで、貸出しを可能にしたらどうかという案がでた。そこで会員制にして、身元のはっきりした方であれば、問題ないのではないかと考えたわけである。蔵書はみな草森さんの手択本であるから、いろいろ傍線や書き込み、付箋があったりする。それがまた面白いと思うのである。

しかし、貸出しするのは、遺族の方にとっても紛失や破損のリスクを背負うことにもなるので、心配事が増えることでもあるから、これが許されるならば、我らは大いに感謝しなければならない。

では、貸出しを考えないで、広く任梟盧を活用してもらうにはどのような方法が考えられるであろうか。

そう考えたときに、ある光が差してきた。

それは、目録の完成のために会員に手伝ってもらうことである。

もう全数の把握と署名や作家名などの主要な項目はデータとしてエクセル入力は済んで15000冊余の蔵書を確認した。しかし、校正と未入力の事項はまだまだ残っている。

これらをすべて完了するには、まだまだ多くの労力がいる。現に大谷短大に寄贈された32000冊も目録整理に20名以上のメンバーでも10年以上かかっている。月一の活動であるから年に240名、つまり延べ2400名以上のボランティアを必要としてきている。これを考えれば、任梟盧の整理にもこれから延べ1000名程度は必要ということになる。しかし任梟盧は狭いので、一度に入れるスペースは5,6人が限度である。

そうすると、会員には作業希望日をもとにしたローテーションの割り振りを行えば可能となるはずである。そして作業の合間に読書に耽ってもらうもよし、作業に専念してもらうもよしとするのである。

さらに、任梟盧の将来を考えれば、その会をいずれNPO法人にでもしていければ、永続の光も見えてこようと思うのである。

規模は地元だけに限らず、全国どこの方でも会員になることが可能としたいとも思う。

機会があれば、当地に来られればよいし、来られなくても何らかの形で情報提供はできるであろう。

今回はこの任梟盧ブッククラブの設立報告でした。現在T氏を都合により除いて4名(佐藤、宗像、廣川、吉田)の創立メンバーで運営をしていくことになりました。入会ご希望の方は当方までご連絡のほどを。

吉田氏宛の草森さんの手紙を見せてもらいました。毛筆の長い手紙もあり、大変興味深かったです。

批判より「いいね」

 

何とか、任梟盧の全蔵書のリストが15000冊を超えて先が見えてきたので、冒険子は草森さんの膨大なノート類の整理を始めた。単なるメモから、新聞雑誌の切り抜き資料、学生時代、婦人画報社勤務時代のダイアリー、書きかけの原稿まで145冊ほどある。

草森さんの文字は独特の癖がありなかなか読みにくいのであるが、読書ノートに下記写真のように丁寧に筆写しているものがあった。草森さんは自分の批評活動を始めるにあたって、根本の指針にしたに違いないと思うのである。

批判についての石川達三ドナルド・キーンの米国知識人社交界の認識等、興味深い。

読みやすいように再筆写すれば、次の二文である。

 

◎批判するということ自体は何ものでもありはしない。批判は批判することによって一歩前進しなくてはならないはずだ。

ところが日本の知識人諸君は、批判することによって停止している。自己の安全を保持するために批判している。「世界は変わった」石川達三

 

◎女性がいるために機智やレベルが高く保たれ、男同士の会話のように専門的または卑猥にならない。「ニューヨーク知識人の社交界ドナルド・キーン

 

現代はSNS全盛の時代である。本や雑誌にしなくても簡単に自分の意見を表現できるようになった、これはある意味で素晴らしい進歩であるはずである。

言いたいことを簡単に書くことができるようになったわけだが、また簡単に批判もできるわけである。

批判を通り越して、誹謗中傷というところまで進み、自殺や引きこもり、神経症等最悪の結果になることもある。SNSは銃のような凶器にもなるということである。

草森ノートのように、批判するなら保身のためではなく、お互いに前進できるものを書きたいものである。「いいね」というボタンの方があっさりしていていいと思うが、おぞましい発言は控えたほうがよい。いずれ波風のある長い人生、いつその相手の世話になるかもしれないのである。

撃った弾丸は、何時かまた自分に撥ね返ってくるものである。これでは保身としても程遠いことである。自戒したい。

 

 

 

草森紳一の読書ノート

 

50年前の和田誠の似顔絵集

11月13日に第三回目の任梟盧公開を無事終えて、一段落したのだけれど、その後もボチボチと遠方からの見学希望の連絡が入ってくる。小樽と札幌からの数名が、はるばる車で来てくれました。

草森本愛読者ばかりでなく、任梟盧設計の山下和正氏の建築に興味を持つ人も結構多く、若き建築士にとって、任梟盧は興味深いもののようである。その反面、車椅子での希望者もいて、バリアフリーには程遠い内部構造であるので、残念だが遠慮してもらうしかない。

 

11月18日は、最初の草森マンガ塾を行った。

草森さんのご友人のO氏は参加を希望していたのだが、迎えに行ったら高齢のためか、準備ができていないようでキャンセル、その他のキャンセル3名ほどもあり、結局5人で行うことになった。

会場の茶戸庵は、小川沿いにあり庭が川まで続いていて、自然の風情を感じることができ街中ながら静謐なところである。畳の茶室もあり、庵主は自然茶の近藤美知絵のお弟子さんの家常さんである。

透明グラスに茶葉をいれたとてもいい香りのするお茶と、お汁粉、塩昆布などいただきながら、高山氏のセットしてくれたプロジェクターで上映開始となった。

機材は古くて解像度にやや不安はあるものの、絵の鑑賞には問題がない。

最初なのでわかりやすい似顔絵で楽しんでもらおうと、任梟盧の大型本のコーナーから和田誠の「PEAPLE」’73年刊を選んだ。昭和の懐かしの作家、芸術家、俳優、歌手、スポーツ選手など多岐にわたる著名人たちの似顔絵が次々と流れる。それを当てっこしながら、知らない人に当てた人が説明を加えていくのである。思い出せるし、人物の特徴が似顔絵によって明らかになるのでとても面白かった。

武満徹の時は、なかなか名前が出なかったので、ついでに彼の作品を知ってもらおうと思い、谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」という曲を youtube で検索してテノール歌手の榛葉樹人氏のものを聴く。他に小室等のものもあるが、この方がこの場にはふさわしかったかもしれない。この曲は、冒険子もとても好きな曲で、何番目かのフレーズ「死んだ兵士の残したものは、こわれた銃とゆがんだ地球、ほかには何も残せなかった、平和一つ残せなかった」などは、まさにこの時代にも通じていることでもある。

ただ残念ながら、この本も漏水により2割ほどシミが入り傷んでしまっているのである。ともあれ、何とか判読できる部分を残せたことは幸いであった。

 

終了後、雑談の中で任梟盧活用のために会員募集をして、貸し出しを可能にしたらどうかという案がでた。確かに、この方法はまだ出ていなかった案ではあるが、よい方法であるように思われるがどうだろうか。任梟盧には、貴重本が多い。それも社会的に活用できなければ意味がないであろう。ただの宝の持ち腐れである。何とか運営法を確立したいものである。