草の森大冒険

ナンセンスの大家、草森紳一の書庫「任梟盧」を冒険します。

日本語の悲劇

仕事、入院、草森ボランティアとあわただしく過ごしているうちに、早くも一年が過ぎた。このままでは、何もしないうちに草森さんに会いに行くなんてことになるかもしれない。いやまだまだそれだけは勘弁してください。一年前は、それもまたよし、と達観的だったのですが、だんだんまた命根性が汚くなってきたようです。(いやあでも、この言葉なんかいやだな、だって人間なら生に執着するのは当たり前なはずだから。それを汚いと言ったのは誰だったのだろう、死ぬことを厭わない武士か、それとも生死を超えた聖人か。)

草森蔵書整理の活動は、月に一度なるべく行くようにしている。最近はパソコンやプリンターが備品として使えるようになり、大分それらしくなった。蔵書の格納も蔵書番号順になったので、すぐに目的の本を探せるようになった。少しづつだが、校正も進んでいる。作業時間も午後3時までの4、5時間となってボランティアの皆さんも、和やかに作業を進めているようだ。

この間に、本もゆっくりと何冊か読んだが、朴 炳植著「日本語の悲劇」には驚いた。連句の勉強のため日本語の起源を探っていて、最初は図書館で斜め読みしていたのだが、あまりの面白さについアマゾンで古書を買ってしまった。1986年の発行だからもう30年近くも前に発行されていたものだ。いままでこの書物の存在を知らなかったという自分の不覚の反省とマスメディアの問題、歴史問題に置ける閉塞性や愛国心、差別等の問題が錯綜してなかなか受け入れられなかったのかなとも思うが、真実は別にして、これだけの仮説は衝撃的な面白さであった。ここは「北」ではないのだから、ぜひ学問的に検証していってほしいものだ。

内容をちょっと紹介すれば、五十音図日本書紀等を慶尚道方言や古代朝鮮語を用いて解明しているのである。その意味が今までの日本語学術的解釈とはまるで違うのだ。中身が易しくて、わかりやすいので非常におもしろいのである。
たとえば、五十音図は、
あいうえお (あー、どうして、こんなに泣くの?)
かきくけこ (綺麗な、おべべを、しわくちゃにして)
さしすせそ (さー、お洗いなさい)
たちつてと (怪我をしたって)
なにぬねの (私は驚きませんよ)
はひふへほ (はー、ヒフヘちゃん、ほー)
まみむめも (おもゆをめしあがれ)
やいゆえよ (この子は、どうして泣き止まないの)
らりるれろ (鬼が来ますよ)
わいうえを ん (どうしてこんなになくの、ね)
と解釈される。
そして、日本語の悲劇とは何かというと、奈良時代のころは古代朝鮮語の影響で8つの母音があったが、平安時代に50音図を一般化したがゆえに、母音が5つに減ってしまった。よって、日本人は英語等の発音や聞き取りに苦労している。これが悲劇だというのである。つまり「かな」の発明と今尚われわれに強く残っている縮み志向性(短縮語の愛好趣味)が、母音を簡略化してしまった、というのである。

さて、草森さんなら、これをどう評価したものか。江戸時代以降や中国史などを中心に関心を寄せていれば、あまり古代史ミステリーめいたものには踏み込まなかったかな。

日本語の悲劇 (学研M文庫)

日本語の悲劇 (学研M文庫)

日本語の悲劇

日本語の悲劇