何とか、任梟盧の全蔵書のリストが15000冊を超えて先が見えてきたので、冒険子は草森さんの膨大なノート類の整理を始めた。単なるメモから、新聞雑誌の切り抜き資料、学生時代、婦人画報社勤務時代のダイアリー、書きかけの原稿まで145冊ほどある。
草森さんの文字は独特の癖がありなかなか読みにくいのであるが、読書ノートに下記写真のように丁寧に筆写しているものがあった。草森さんは自分の批評活動を始めるにあたって、根本の指針にしたに違いないと思うのである。
批判についての石川達三やドナルド・キーンの米国知識人社交界の認識等、興味深い。
読みやすいように再筆写すれば、次の二文である。
◎批判するということ自体は何ものでもありはしない。批判は批判することによって一歩前進しなくてはならないはずだ。
ところが日本の知識人諸君は、批判することによって停止している。自己の安全を保持するために批判している。「世界は変わった」石川達三
◎女性がいるために機智やレベルが高く保たれ、男同士の会話のように専門的または卑猥にならない。「ニューヨーク知識人の社交界」ドナルド・キーン
現代はSNS全盛の時代である。本や雑誌にしなくても簡単に自分の意見を表現できるようになった、これはある意味で素晴らしい進歩であるはずである。
言いたいことを簡単に書くことができるようになったわけだが、また簡単に批判もできるわけである。
批判を通り越して、誹謗中傷というところまで進み、自殺や引きこもり、神経症等最悪の結果になることもある。SNSは銃のような凶器にもなるということである。
草森ノートのように、批判するなら保身のためではなく、お互いに前進できるものを書きたいものである。「いいね」というボタンの方があっさりしていていいと思うが、おぞましい発言は控えたほうがよい。いずれ波風のある長い人生、いつその相手の世話になるかもしれないのである。
撃った弾丸は、何時かまた自分に撥ね返ってくるものである。これでは保身としても程遠いことである。自戒したい。