草の森大冒険

ナンセンスの大家、草森紳一の書庫「任梟盧」を冒険します。

大冒険の方法序説

さて、ようやく、任梟盧の本たちの紹介をしていきたいのだが、どう始めようか。
作成している目録通りに、一冊づつ紹介すれば、3万冊といわれる本の群、果てしもない。ただ目録を並べるだけでは、資料としての意味はあっても、つまらない。目録が完成すれば一目瞭然となるものだ。

では、書棚のブロック単位ではどうだろう。そのブロックには、草森さんの意図や感性が表れているはずである。だから、そんな編集世界を読み解きながら、膨大な草森ワールドに招待できたら、すばらしいことである。そして、こういう本や資料の山をみると思うのだが、一冊の本を書くのに2000冊の本が増えたと草森さんがどこかに書いているように、これらの資料が、どう生かされたのか、そのまま、知識として、資料としてのみ使われたのか、それとも、それらの資料から、思いもかけない意味や「点と線」のごとき発見、あるいは隠れた真実を覗こうとしたのだろうか。

点と線 (新潮文庫)

点と線 (新潮文庫)

本を書くために読む、ということもあったかもしれない。しかし、草森さんは、物書きだ、雑文家だ、と謙遜して言われるけれども、本質は学者、しかも形式的なものに囚われないから、本物の在野の学者であると思う。おそらく、いったん自分の感性に引っかかったものは、とことん探究する。それが、何年、何十年かかってもやり遂げようとする。いや、それでも、まだまだ、中途なのかもしれない。李賀や副島種臣などは、そういう対象であり、ほとんどもう彼自身と同化していたのではないだろうか。そして、彼の好奇心の満足点は、一体どこにあるのだろうか。
李賀詩選 (岩波文庫)

李賀詩選 (岩波文庫)

副島種臣

副島種臣

本の一冊一冊には、付箋、線引き、マーキングのある語彙や単語、覚えや寸感等の書き込みのあるものも多く、そういうところこそ、古本屋では安くなっても、我々には、持ち主の顔がみえて貴重なところである。しかし、それらをみな紹介するのも大変である。またそういうことは、家の内側を陽に晒すことでもあるから、ご遺族の方の了解も必要になる。本はもはや、草森さんだけのものではなくて、ご遺族の方に相続され、幸運にも、さらに社会の貴重な文化遺産となりつつある。年月が経るということは、そういうことなのだ。優れた遺産は、どうしたってその輝く光を放つ。我々には、その光を頼りにしてしか、広大な「草の森」を冒険する手立てはない。

結局、私の目的は、草森さんの読書冒険の跡をたどりながら、往時の草森さんに遊んでもらうということである。そういう楽しい冒険性が出れば、よいのではないか。もちろん、どれだけ楽しく遊んでくれるかは、こちらの器量次第。きっと私は、30年前に途切れてしまった、話の続きをしていたいのだ。たぶん延々と…。草森さんも、きっと付き合ってくれるはずと信じる(そうですよね、草森さん)。ということで、大上段から巨闕をふるう、なんていう芸当はできるはずもない、ただ右往左往に徘徊しながら、できるだけ資料としての価値は踏まえつつも、少しラフで、いい加減なところで、遊ばせていただくということにしたい。